彼は体格の良い、豪快な人柄であり、頭脳明晰、一方で、人に対する繊細な思いやりのある温かい人柄、更に、文章表現が巧みで、達筆家でもあった。その上、スポーツマンでもあった彼は、日本たばこ時代、女子バレー部の監督をしていたとも聞いた。日本たばこやダイセル化学の人達だけでなく、踊りの家元、箏の師匠、寿司屋の主人等々、広い範囲の人々との交流があった様である。彼の死後、彼を偲ぶ多くの人達の追悼文を集めた文集も出来た程で、多くの方々から、親しみと信頼と尊敬の念を抱かれていたようである。
今年、私たち同級生が、卒業後50周年の会を持とうとしている時に、彼はもう会えない人となったことを痛感し、誠に残念に思う。心からの冥福を祈るのみである。(平成16年記す)
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97.11.15東日本支部総会にて集う昭29卒同級生
(右から福澄さん、宇津巻さん、若桜さん)
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